8 posts tagged “alliance port”
僕の楽曲分析話はともかく。小川のタイポグラフィー、山辺のProcessing.jsと平均10人以上の人が話を聞いていろいろ意見があったりして、と非常に良い会になったんではないかな? 特に小川のタイポグラフィー確認アプリがヒットしてたのがおもしろかった。本当論文の一本も書けばいいのにな。
beaticaのライブが渋谷はclub ASIAでありまして、そこにキックと二人でVJやってきました。
基本はキックメインのプロジェクト(のつもり)なので、僕は準備などのアシスタント的に動くようにしてますが、今回も後半はVJもやらせてもらいました。ありがとーキクさん。
そんなわけで幾つか写真です(D200もってたのにCFカードを忘れるという大失態。。。)。
今回がまだ2回目だってのにそこだけはほんとベテラン風。リハからキック一人でのオペレーションでいい感じなので、僕はカメラマンに戻ることにしたんですが、、、前述のようにCFカードを忘れてしまったので、シオシオノパー。ガックシ。。。
VJはMacBook3台、ビデオミキサーっていう状態でやりましたが実質一台のMacBookで映像は送ってます。
MaxMSPのプログラムも一台にまとめてしまえば、そうとうライトにやれるんじゃないかと。完全におなじ環境のバックアップを一台。っていう感じにするとMacBook2台+ミキサーって感じでやれるね。
映像はQuarts Composerでジェネレートしてます。またMaxMSPで音の情報を数値化して、UDPで2台のマシンに送ったりもしてます。ああ、ザクティはこういうときに便利なのか。。。
真剣な顔で映像を演奏するキクさん。
なんとなく演奏する。ってことがどういう事だかわかってもらえたらとっても嬉しいなぁー。さらにそれが楽しいことだ。失敗なんて瞬間はないんだ。ってこともわかってくれたらもっと嬉しいなぁー。デザイナーって、定着させる仕事だから、きっとこういう時間と共に過ぎ去っていくものを後戻りできずに演算しつづけることって慣れてないとおもうんだよね。そのうえ、beaticaのVJは実は難易度高いです。いわゆる歌物の構造で、且つテンポも早くて展開もしっかりしてるから、これの時間の感覚になれてしまえば僕と常盤さんでやってるworking draftのようなアブストラクト(にならないように今後展開するつもりですが)な音楽はもっと時間をゆったりと使えるようになると思います。
このあたりは慣れてきて、キックの持ち味ってのがもっと出てくると凄いことになると思ってるんだよね。
おれ、キックさんはタイムラインもの向いてると思うんだよ。
しかし、beaticaの今後の展開に期待してます。まじで。
そして、機会をくれているトクちゃんとmoccaちゃんには感謝です。大感謝。
そして回った(意味不明)。
まいりました。一年もつかっていないMacBookのHDが飛びました。なんか昔よりもHDのトラブルの頻度って上っているような気がするんですけど、どうでしょう? おかげでこの一年で作ってきたいろいろな資料や、この一年で撮ってきたいろいろな写真が全部飛ぶ。という悲しい自体に。あーもう、進行中のプロジェクトだけは外部ディスクで作業してたのが唯一の救いです。
というわけで、Raid5 で社内ファイルサーバを構築しようか。。。と思ってますが、なんか良い知恵ないですかね?
TeraStationでも良いんだけど、ちょっと御高いので、、、ホットスワップできなくてもいいのですけどねぇ、、、MacProにHD4台積んでRaid5の環境作れたらそれでもいいだけどな。
また写真沢山とろっと(涙)。
一年前の今日、キクさんは前の事務所の最後の日で、自分の送別会にも行けないほど(笑)の仕事を抱え、そのうえなぜか俺が事務所では料理を作ってまってる(笑)というおかしな状況だったわけです。ただ、二人とも一年後の今日、こんな風に過してると思ってもいず(当時「一年はやまとんちでやろう」と言ってたので、事務所構えてスタッフが増えてるなんて状況は木っ端ミジンコ考えてなかったし)、今日の今の状況を見ると単純に奇跡だ。。。としか思えません。
友人は「またやまとくんが訳のわからないこと言ってるよ」とかも思ってて(左の写真は、そんなこと微塵にも考えてない幸せな友人。CD "Alliance Rock" のプレスが上ってきて御満悦な表情。まだ恐れをしらない幸せな次期・笑)、本当に会社にしてっちゃう有様(笑)に、端的に言うとなぜか彼が焦っていた(笑)というくらいでしたからね。
人が増えれば考えかたも増えて、能力も増えるかわりに、軋轢も摩擦も増えてくわけですよ。
でも、それが人とやる。人の力を借りる。その結果自分の力以上のことを成し遂げる。ということなんだと思います。
いろんな人の力や知恵を借りて進んでます。
いや、無事、キクさんがver.3.0になり(笑)、僕はあと一ヶ月ちょいでver.3.7(マイナーアップかよ・笑)ということになります(おがひろのver.は敢て言うまい・笑)が、なんだろう、少なくとも僕は昨日より今ほうが良くなっていってるという実感が持ててます。
このチームは良い方向に進んでます。
引き続き、それを続けていけるようにするのが僕の仕事でしょう。
って、「そういうことはさ、自分の誕生日に書けよ(笑)」っていうツッコミ待ってます。
土曜のミーティングが楽しみになってきたぞっと。
さー次行ってみよーっ!!
下の写真は、上の写真の友人が僕等の状況を知ってしまい、困惑してるところ(ウソ)。
人間って変れば変るもんですね(笑)。
上のタイトルは正確には「メール(「あなたのこと、わたしにはわからないわ」という倦怠期のカップのための)」というのタイトルです。タイトル文字数の制限あるんだ。。。> VOX。
家にいると会社の事がなにも見えず(IMをつかう習慣もなく、IMを仕事中につかうことで集中力が切れるのが嫌だと公言してる人すらいる)、自然とやりとりはメールになるのだけど、メールってのは本当に厄介な代物だな、、と思った。
「話せばわかる」ということは、基本ないのだ、というのは養老孟司の話にもあったが(念のため。僕は"バカの壁"は英語版の帯(笑)しか読んでません。なので、そういう話があったのは、直接聞いた・カンファレンスで・という程度です)、メールには読めばわかる。以上の情報は逆にない。
人の理解というのは基本は、「どれだけ相手のことを知ってるか?」に尽きると仮定すると、そもそも情報を出したくない(なので「話たくない」というのは、致命的だ)。という相手とは理解することや思んばかることも難しいのだけど、読むしかない。というメールというメディアでは、自然に文章に相手の情報を不可して読むようになる。そこでは、文字の開き、改行、文書の長さ、書きかたとしてのスタイル。など、それなりの情報はあるのだけど、そこから厄介なのはそれら情報は、普段の知っている相手になればなるほど、普段知っている情報を引きだしてくるキーになるということだ。具体例を上げてもいいのだが、そんなことするより、自分に送られてくるメールをそういう目線で見直せば、どれだけ読む側が補足の情報をつけたしてるのかがわかるとおもう。
これは、コミュニケーションが上手くいってるときは良い。
だがそうでなくなった時点から、もう大変なことになる。良くある「なんでメール返してくれなかったの?」なんてのは代表的な事例で、そうでなくても文章量だとかそういうことを、相手のネガティブ面への"期待"でもって、よりドラマチックにしてしまいがちだ。上記のようにコミュニケーションを取りたい。という場合はまだ良い。復旧のしようがあるから。困るのは、そもそも「もうコミュニケーションを取る必要はない(必要以上には)」という場合だ。ただでさえ、理解する為の基本情報が少ないにもかかわらず、メールなどにのっている文章にも情報が少ない場合、メールはグループワークには極端に向かないツールになる。
これはTwitterがでてきた時点で「ああこれおもしろいな」と思ったことにも繋るんだけど、それならいっそ、ステータスだけで全然良いのではないか? と思う人が出てきて当然だよなぁ、、、という風に理解ができた。ならいっそ、コミュニケーションの度合いを個人のスキルや文章のスタイルに依存しない形で担保してしまう、コミュニケーションツールってのがあったらどうだろう?
- もう、文章は基本雛形になっていて、そのなかに必要な情報を埋めこむことで完成させる。
- 基本、フリーテキストはなく、文章はすべて連想変換的に候補(ある程度一塊のセンテンスとして)あがってきて、文法的な個人の好みが極力発生しないようになっている。
- メールの文頭には、このメールがツールを使って生成されている(書かれているのではい)ことを記述し、正確性は担保されないので、性格な情報が知りたアクションが記述(これも書きては選択して決める)れており、必要なアクションが取れるようになっている。
- つまり、誰がかいても同じような文法で、伝えるべき内容が綺麗にアウトライン化されており、内容が伝わるという仕組みで、それなら行間を読むということはしないでもいいし、逆に情報量の少なさ、や、人との差別化を読みとってしまうことも割けられるだろう。
- フリースタイルではないので、80%70%の情報を早く作成できる。必要ならそこから修正すれば良い。
いや、これはコミュニケーションを否定してるのではなく逆なんだ。
上記のようなツールが出てくるとなにがクローズアップされるかというと、より面と向ってできるコミュニケーションの情報の豊かさと重要性だ。物理的にもP2Pで出来るコミュニケーションは情報量豊(目、声、顔色、はもちろんとして、髪型、匂、場所としての背景、時間、温度湿度、それら共有してる感覚などなど、人と関係を無意識に図るパラメーターは幾らでも出てくる)で、それに質として勝るものはない(ビデオチャット見たいなものですら、その代りはできないだろう。それは、第一、同じ場所だということを共有してることによる情報の多さはスクリーンでは代用ができない。本や雑誌が死なないのと同じ理由だ)のだから、コミュニケーションをするのは大前提だ。だけど、そこで得られた情報を必要以上に掬びつけないというコミュニケーションメディアがあってもいいのではないだろうか?
結局、チャットにせよ、メールにせよ、距離(物理的、精神的をとわず)が離れていれば、寂しいことには代りないのだ。ならば、そのツールからセンチメンタルな要素を極力載せないようにしてはどうだろう。
それにはまず、フリースタイルの文章を止め、システムとしての文章のクオリティの担保を取る。というのがヒトツの方法になるのではないか? と思う。フリースタイルじゃないので、各国語に翻訳するとかそういうことも通常よりも容易になるだろう。
ま、そういうことを考える時間になったのは良いのだが、結局、本日は誰もIMには上ってこなかった。物理的精神的に距離が出来る。ということはつまりはそういうことなのだ。
悪くないけど、面白くもなんともないな、これ(笑)。
以下、僕を知っているすべての人の腑に落ちますように。
先日から読んでいる本"アンビエント・ファインダビリティ"をたった今読み終りました。いや、これほど楽しいと思っているのに殆ど印象がない本も珍しいという感じです。で、本は僕なりに要約すると、「情報の飽和(錯綜状態)は止められない。そこで重要なのは包み込むように存在する情報の見付けやすさ(アンビエント・ファインダビリティ)で、それが唯一のユーザービリティの向上につながる」ということを数々の事例、論文、引用を交えて紹介されている。ということなのかなと。
さて。自分の経験に起きかえてみよう。
僕がブログを始めた当時
僕がブログにハマってた当時すばらしく便利なツールが出てきたなぁ、と思い、そのままハマる。トラックバックも新鮮で、本気で「ああぁこりゃ世の中が変るなぁ」と思った。事実、関さんと始めて会ったときにそういう話を本気でしてた記憶がある(とはいえ、この記憶がある。というのが難問なのだが)。
僕がブログに疑問を抱いた当時ああもうなんでもクリップしておけばいいやぁ、と思い、インターネットの記事をクリップしまくる。やっぱりトラックバックのコミュニケーションは已然斬新で士郎正宗的にいや「記憶の外部化」が進んでいる感じがあった。いや、今思うとそれはエンジニアの名札を下げた時点(それより数年前)から同じだったのだけど、それが表層化した。
そして僕がブログを書かなくなった当時(というかこないだまで)記事をクリップして言及するのが嫌になり始めた。必要な記事やそれに関する記憶は検索エンジンのキーワードとその結果から常に同じように、そして時折アップデートしながら瞬間的に考えてしまえばいいや。と、本気で考えてた。その変わりに検索エンジンでは検索できないこと、つまり自分の経験と感覚、感性、感情を吐きだし始めた。とはいえ、これは記憶の外部化がより一層進んだことになんら違いがない。と思う。
そして僕がブログをまた書き始めた今いろいろ複合的に辛くなって掘りさげることができなくなっていった。なんかたしか当時ブログマーケティング的な考えのなかから、「個人のマーケティングツールだから当り障りのないことを書いて自己演出しなきゃ!」みたいな意見が先進のユーザーから出ていた気がする。正直、真っ向対立な気分だったけど、社会性をある程度(笑)もっている自分としては白けてしまった。あと、やっぱりとにかく辛かったのだ。
ブログを書かなくなったのと同時に諸事情によりflickrを衝動的にやめ、ネットワークツールから離れるコトを決意してた。ところがどっこいそうは問屋が卸してくれなくて、キクさんとAP始めたら自分の経験と思想、思考、がちょっと面白がられることに気がつく。気がつくだけなら良かったのだが、困ってしまった。対したこと考えてるわけでも、別に新しいこと言ってるわけでもないのに。と。
ただ、その間に考えたことが外部記憶になっていないことが相当に痛い事態になってること、そしてこの一年くらいで書いてこなかったことにとても価値があったことにも気がつく。あーこまった。というのが本音。
で、こうやって書いてるわけよ。
さて、ここまでが前提でこっからがカミングアウト(確定ではない)になるわけだが。
先日某弟分(笑)の結婚が決り(というかしてたわけですが・笑)、めでたいのでキクさんといつものようにファンゴに行って飲んでる席でのこと。ここ数ヶ月、というかそろそろ一年。いやまぁ知り合ってからはもう2年以上?? 僕を見てきたキクさんが一緒に仕事をしてきて僕に感じてたことを話始めた。
「あのさ、大和ってADHDなんじゃないかと思う」
えーとADHDってなんですか?って思った人(俺もだ)はこちらをクリッククリック。
で、今から下に書くことはなんの診断も受けていなく確定もしてないことなんだ、そしてそういう障害をもった人に対して失礼な気持ちは微塵もない(寧ろ逆)なんだ、ということを前提にしてるのですが、日本語にすると"注意欠陥・多動性障害"といいます。いや、これ自分でこういう障害を探してきて読んでですね、「ああおれそうかもー」って思ったのではない。ということが僕にとっては非常に重要なんですが(鬱または何らかの人格障害だとは思ってましたが)、キクさんの話を聞くと思いあたる節がアルアル(笑)。
- 片づけが苦手。
けっして汚ないのが平気なのじゃないの。出来ないの。そういうと「やらないからだ」と良く怒られましたが(笑)、本当に出来無いのだよ。ところが、一人暮し始めてから凄い綺麗に暮してたのですが、これ、実はあとで書くことで逆説的に苦手が証明できちゃうという(笑)。 - 子供の頃ものすごく感情的だった。
えーと、ガリクソンもびっくりの瞬間湯沸器でした。すぐ怒るし、すぐ泣く(笑)。いや、「おまえ変ってないだろう?」って突っ込んだ君。これでも気がとおくなるほど、気ながになったんだからー。社会性ってすごいわ。これが大人になることなのね。と。 - 短期記憶が
ダメ苦手
子供の頃は忘れものが酷くて、学級会で会議に(笑・議題は「大和くんの忘れものをなくすにはどうしたら良いか?」ちょっとした吊しあげでしたね、あれ)。人の名前を覚えるのは今でもだめ。顔はオッケー。絵と印象が残るから。「覚えなさい」というのがとにかくダメした。学習障害なのかとこの話を聞くまで思っておりました。実際母と、母のなのか俺のなのか、未だにわかんないのですが(笑)、カウンセリング良く行きました(カウンセリングのおねえさん大好きだった。という呑気な記憶しかないですが。そういや、小学校の記憶って殆どないんです、おれ。年をとるにつれ段々と思いだしてきましたが已然はほんとカラッキシでした)。 - 短期記憶だけなら良かったけど(笑)、記憶系全般にダメ(笑)
えーと、記憶系学科全滅っ! 未だにバークリーメソッドも覚える部分(ダイアトニックマンションの12棟とか)が苦手。科学は科学記号がダメ。国語は漢字が全滅。なぜか英単語は比較的だいじょぶ(理由があります)。 - そのかわり授業や教科書は一発で理解できる。
おかげで復習できないの。わかってしまうから。読むと全部わかってしまうので、記憶につながらないのです。
- 理由があるものは大丈夫。
例えば英単語。音、色、空間、みたいな五感で覚えるのは得意だったので、音さえ覚えていれば、英単語ってスペリングに音とのルールがあるから大体なんとかなった。科学はダメでも理論を弄って遊べる物理は大好き。国語も文章読解はほとんどパーフェクト。作文は大抵始まって10分で終り(書き始めたらそのタイミングで大体全部出来ちゃうから)。カラダ動かす系も平気。動きは理屈と順列組合せだから(ある程度までは個体差関係ないと思ってたしね)。 - 興味があるといくらでも続けられる。
これ、一人暮し始めての片付けがそうでした。単純に楽しかったし、やってみたかった。俺って片付けできるじゃーん♪とか思ってたもん(笑)。ところが、AP始まって単純に時間がない。とかそういうことで片付けなくなったのかと思ったのですが、今となっては別にそうじゃないな、、、と思います。やる時間あるもん。でも洗濯とかはするの。汚ないのが良いとは全然思ってないから、それこそ小まめにやります(笑)。料理も凄いすき。玉葱とか2時間とか平気で鍋みながら炒めてるし(笑)。
キクさんには已然から「おれさぁ、こんな感じの幼少時代さぁー、んで今もあんまり変らないんだよね。気が長くなったくらいで」って話をしてて、で、キクさんはキクさんで「こいつとやってって大丈夫かな、、、」と思ってたらしく(笑)、そんで彼の知識のなかでたまたまADHDという言葉を知っていてですね、「怪しい」と睨んだそうです(笑)。んで、わざわざ本を買ってきて、勉強してくれている(いまも読んでる途中だそうです。読み終ったら貸してくれるって・笑)のですが、「いやぁーわるいかなぁと思ったんだけどさ、ちょっとこういう本を読んでいてね」と前述の会話のあとに続くのですが、本を取りだしてくれたときには、その本がなんであれ(笑)、もの凄く感動しました。はい。そこまでしてくれる奴に会ったことねーや。と。
そして、これは僕が思ってることではなくてキクさんの僕の評価なのですが、
- 良いと思ったことに食いつくときの初速が段違い。
- 全体を掴む理解力が高い。
- そんかわり理解できてしまうと、急激に速度が落る。
- 興味のあることしかやんない。
- そんかわり興味があることならいつまででもやる。
- 回りからみると非常に多趣味に見えるが全部本気でやってる。趣味なんか持ってない。
- 過去を捨てるのでなく、見れない。
- 努力しないで理解できてしまうことが多いから、努力型には疎まれる。
- 多少、攻撃性があるので、回りは大変。
- 出来ることと出来無いことがハッキリしてる。
- 自分の能力に自信がない。
こんなところだったような気がしてます。
えっと、彼曰く、これらはADHDの人の特徴にばっちりビンゴ♪なのだそうですが(笑)、「でもこういう人はね一定数いるの。右利きの人の中に、左利きの人がいるように」と言ってくれたのがちょっと救いでした。というかホッとした。あと、「左利きの人は社会生活に支障がないから障害と言わないけど、ADHDの人は支障が出たりするから障害って言われちゃうのだよね」とも。そして「大和の場合は、そういう特性が今の時代や状況とマッチしてるんだから凄いラッキー」とも。ああそうかぁ、、、と、僕は腑に落ちました。
ただし、これは医師の診断を受けたわけでもなく、僕を観察してきた友人の解釈の話です。
なので、確定ではないのだけど、確定することがさして重要じゃないのです。そういう人もいる。そういう人の特性に似てる。ということを外から判断することが出来る(少くともパートナーが)。そしてその特性を生かせばバッチリなんじゃねーか? という提案をしてる。ということが重要なのですね。
なので、医師の診断を受ける気はないです。なぜなら。。。
確定したところで、治療して治せるもんじゃないらしいから(笑)。
いや、もちろんそれだけじゃなくて、僕にとっては正直自分がそういう特性を理由をもって持っている。という可能性があるほうが夢があって良いのです。だって、ずっと「大丈夫だ」って言ってほしいって思いつづけてきたんですから。それに今ここに来て自分の環境がガンガンと変っていくのですが、それでも楽しいのが続いてるんですが、それを前に進める為に上のような僕の特性が活用できるなら、活用し、願わくば良い点を伸ばしていきたいと思うばかりだからです。
五感が良くて、感受性が強すぎる。というのも特徴らしいのですが、それによって見えないでいいもの、感じなくていいものを先まわりして感じてしまい急激に落ち込んだり(ついさっき落ち込んだ)、出来無いのに出来た結果が見えてしまって(調子がいいとさ、文字通り見えんだよ)ところがそれが能力に余って結果が出ずに落ち込んだりすることがあり、そうなると社会や組織に適応できなくて会社の中で困った人になってしまったり(経験あり。Σはっもしかして今もそうか?そうなのか??キクさん!!!・泣)することで、その結果、鬱になったりしてしまうこともあるそうですが、決して僕のことがどうこうってことじゃなくてね(笑)、ADHDって治んないんで、「変えろ」「治せ」って要求しても悪循環になるだけで無駄らしいです。
それよりは、環境をそいつ合せてそいつを生かすようにしたほうがいいんだってさ(笑)。
道理で自分で会社やってるわけだ(冗談ですよ、もちろん・笑)。
あ、でも、それを理由に甘える気はないですよ(笑)。
ベストを尽したい。というのもどうやら特性らしいので(笑)。
えっと、そんでですね。
その日は家にかえって余りにホッとして号泣しました(笑)。うれしくて。
某氏の結婚も飛び上がるほど嬉しかったけど、仕事の相方がそんな風に理解をしようと努めてくれたことがなにより嬉しかったなぁ。。。
で。これ、なんでこうやって書いてるかっていうと、、、
ファインダビリティの話にもどります。
つまり、そんな僕にはブログは当時の状況もあいまって、ぴったしだったんですよね。覚えてられないから(笑)。
検索エンジンもそう。覚える量が少なくて(キーワードとその組み合わせだけでよい)、且つ検索結果の出力を画面の印象をラベリングできるから。
ところが、タグギングやカテゴライズってダメなの、かならず崩壊する。常に「もっと良い分類あるよなぁ、、」って思いつくとそうやってしまうから、ルールが守れない(笑)。あとフォークソノミーも実は苦手。可能性がある分野だって思うのだけど、どうもそこに法則や理由が見いだせないから、乗りきれない。
でも、だからデザイナーを探していて、情報をあつかうことを真剣に考えていて、僕と問題意識の共有が現実的なところで出来るキクさんと組んでいて、そして情報を扱うことを学んでデザインに真摯なおがひろを買っているのかもしれません。
見つやすいことが僕に取ってはもの凄く重要で、アーカイビングそのものが自分の記憶力に依存してないことが、ものすごく生活を楽にしてくれるんですよ。さらにそれはネットワークに限らず、自分の知識や思いつき(先日飲んで話してたときには「愚にもつかない思いつき」と言い爆笑してましたが・笑)を咀嚼して具現化してくれる仲間がいること、古くはあおちゃんゆうくん、そして伊織でアヤちゃん、カトジュンに早瀬、今目の前にいるのはキックとおがひろ、がいることが僕の能力に凄く大事なんです。おっと苅谷くんを忘れるわけにはいかねーな(笑)。
いまさらながら、「官能と憂鬱を教えた学校」の最後の菊地さんの話を思いだしますな。
「一人でつくった作品なんか一つもない」って。
さて、そんなわけで、デザインで出来ることってきっと凄く可能性があるのだと信じてる僕には、この"アンビエント・ファインダビリティ"の中は「そりゃそうだよな」ということ許りで面白いんだけど、印象が残りませんでした(笑・読了するのに時間がかかりすぎて覚えてないし)。でも、ファインダビリティが僕の生活にはとっても重要で、そしてそれを実現するのだ。と少なからず思っていられる仕事が出来ている。そこに自分の経験や能力が非常に役にたつことを再認識することが出来ました。
最後に。
ADHDの診断が出ている皆様。気を悪くしたらごめんなさい。
ここに書いてあることは医師の診断も受けないバカが書いてることなので、「ふざけんなよ。俺達(私達)の大変はそんなもんじゃねーよ」って思うかもしれませんが、僕もそこそこ大変なので勘弁してください。あと、正直に書くとそういう人がいるかも。っていうことは僕のとってはホントに夢のある話なんですよ。僕がたとえそうじゃなくても、そういう人に活躍してほしいなぁ。って心から願ってます。
あと、正直に全部書いてるので、読んだら心配してしまうかもしれない仲間へ。
まず、「お前いいやつだな」と。でね、正直に書いてるときは大丈夫(笑)。ほんとにダメになったら正直に書かないから(笑)。ただ、一つだけ寂しいのは「この特性を理解してもらうのは大変だ。そして理解され(さもなくば許され)ないことで人が離れていくのだ」ということも解りました。なので、えーと、少しだけでいいので「そんな奴もいる。世の中には」ちうことを知っておいてください。俺がどうこうではなく、そういう人達がいるのだ。ということね。そしたら少し寂しくなくなると思うのです。
そんでもって。
「ネットは広大だわ(最後まで史郎正宗かよ・笑)」とは良くぞいったものですが、広大な情報の海を渡るのには海図が必要です。そして、その海で次の島を探すのには、地図を見る目が必要です。海を渡る上部な船も、舵とる優秀な船員も、必要です。
うまく渡って、次の宝島を一緒に見つけましょう。
追伸。
ホントに大変なADHDの人は、ほんとーに大変なのです(あれからまらいろいろ調べてるのです。仕事そっちのけで
・笑)。でも理解しにくいのもしにくいだろうなぁーと思うと自分がどれだけツイてたのかと思うばかりです(いや、診断で確定してるわけではないですが、同じような特徴をもってる者としては、同じように理解されない可能性もあったわですから)。もちろん、自分がADHDではない可能性もありますが、ただ、ADHDの人がやってる改善法はすごーく参考になりました(笑)。それだけでも十分認識していく価値があるよなぁーと思いますので、いろいろ「上の文章は勢いで書いてるな(笑)」と思うところもありますが、このままにしておきます。
いやもうでもほんと、僕なんかまだまだ楽なほうだな(というかほんとツイてたんだな)と、思うばかりです。
気がついたんだが、これ所謂「社長ブログ」なのか(笑)。
自分がリーダーだ。という意識も、経営者だ、っていう意識もそこそこ(かよっ!)あるが、社長ってのは馴染まない感じがする。たまーに、おがひろが「社長です」って以前言ってた気がするが、そこじぇねーだろ紹介するべきは。って思ってもその時のおがひろにはその程度の認識だったんだなぁ。と今になっては思う。まぁ今も同じように紹介するのかもしれませんが(笑)。
もちろん悪いことではないし、きっと世の中的には「そうは言っても社長じゃんか」という意見が多数をしめていそうだけど、やっぱりそこじゃないのよ。やってることは。
キクさんがコメントで、緩やかにポジション変更してて良いと思う。と言ってくれているが、そこそこそれそれっ!って思った。ありがとう。そういう意味では先日の門松さんの「適材適所」ってのもにも抵抗があるのよね。もちろん、俺たちはそれぞれ「得意技」をもったスペシャリストだと思うけど、一番のスペシャルはそれぞれのスペシャルにきちんと食いつき咀嚼する能力だと思う。
キクさんはもちろんおがひろと会ったときにもそういうスペシャルを感じたし、門松さんに至ってはウェブでのやりとりで十分だった。その辺はさ、名前だすの控えるけど他の人達にも感じたし、でもそこで繋り続けている今のスペシャルなメンバーがいることが凄いんだ。
そういう意味で僕がこのメンバーをRightLight Staff(Rightじゃ右じゃんか・笑)と呼んでいるんだってことが伝わっていますように。
さて、明日はまた違ったスペシャリストをお迎えすることに。
キクさんおがひろといった人間が何を感じ、相手に何を感じさせるか? が非常に楽しみだ。
こういうことが続くと止められなくなる。
困った(笑)。
仕事について
音楽仕事の打ち合わせに山口まで行く。チケット取れず、なんと4時間グリーンw。
打ち合わせは23時半に終ったのだが、先方は20時くらいで終るとおもっていたらしい。甘い(笑)。こちとら、様相通りの時間に予想通りに終った。という感じ。いや、紛糾したら一晩でも全然やるつもりでしたよ、はい(笑)。
以前からやってるプロジェクトの落穂拾いがなかなか進まない。横でキクさんが煙り吹きながらやってるのですが、先方にもキクさんにもすまなさで一杯(じゃぁこんなことしてんなという話もあるけど、これも仕事ですからっ!)。
某有名格闘技団体のウェブをリニューアルすることに。たぶんtoshiさんとか聞いたらビックリしてくれると思う。そっち系。僕もちょっと嬉しい。
企業系製品プロモウェブの制作もそろそろ佳境に。映像の仕事をするのだが、ちょっと遅れ気味。ただし、頭の中ではずっと編集を繰り返してます。思考のスレシュホルドがまだ遠いかな。。。ここ数日で近づける作業をする。日曜には、ナレーション録ることに(昨晩話しておいた)。
横浜国大の建築家虎の穴大学院Y-GSA(http://www.y-gsa.jp/)のウェブがなかなか素晴しい。こういうデザインされた仕事がしたかったので、悦に浸る。ふふふ。
同じく、http://www.norikoyamaguchi.com/もリリース。これは、flickrから写真のサムネイルを引いたりと細かく楽しい。外部のソリューションを利用(特に作りこまれた、インターフェース部分)するのは非常に正しいと思った。ソリューション的には「外部サービスに依存しすぎなんじゃね?」という御批判もあるかなぁと思うけど、それらのサービスを技術とデザインで取り纏めていく。というのは、うちの仕事としては間違ってねぃ。と思う。連携とるにはコードもある程度書かないとならないけど、それは多分判っている側からしたら「たいしたコードも書かないでなにが開発だっ」と思うかもしれないけど(そういう批判的な考えかた自体は僕自身も持ってるわけで)、それ以上にそれが出来ないアーティストとか、企業とか、がこういうmash upに賛同出来るならキチンとした形を作るのは十分に開発と呼べるだろう。
他にもいろいろと紹介してないものがありますが、それはそのうち。あ、そうそう。
ウェブマガジン始めます。
第一回目のインタビューは我らが AOKI "メシ世界一美味そうに食うミュージシャン" Takamasa です。
お楽しみに。
健康状態ギターをメンテに出しました。ピックアップ交換です。
バンド今月末目標でリハしたい。けど、俺の仕事次第。先にスケジュール組むかなぁ、、、
7月に一周年です。なにかやります。
ウェブ関係また2キロ体重が落ちました。
どこまで落ちるのでしょうか?(とはいえ、全然大丈夫。まだまだ貯金があるから・笑)。
Twitter旋風凄いですね。。。昨日のオフ行けばよかった。。。
で、結局、ブログ(というか日記)はVOXに、IMは他のアカウントを統べて統合するという意味でTwitterに(つまり、Twitterで呼びだされたら、IMで。というやりかた。とはいえiChatとSkypeは基本あげるようにしておきますが。。。)、知り合いの繋りっていう意味でmixi。という感じになってきてしまいました。
そうなると自分のウェブが明確になって、そもそも作品の発表だけすりゃいいかなと。
ところで、VOXではPodcastingとか簡単に出来ないのですかね??? > 詳しい人。
ほら、こうやってみると十分仕事してるように見えますが、全部遊んでいるかのように楽しいです(笑)
さて、グループにも投稿するとどうなるのかな?